彼の遺言
テレビで通り魔的な殺人事件が報道されるたび、「もし自分が誰かに殺されることがあっても、決して復讐する(=相手の死刑を望む)のではなく、どれだけ私にとって大切な人であったか、そしてその大切な人を殺してしまったのだ、ということをきちんと殺人犯に伝えて反省に導いてほしい」と夫に一方的に言い渡されている。
先週、11年前の連続リンチ殺人の判決が出た。
当時少年だったにもかかわらず死刑が言い渡されたことをマスコミは「待ってました」とばかりに歓迎ムードで報道した。加害者の更生より被害者感情に配慮したという点では何だかホッとしたのだけれど、被害者遺族による仇討ちみたいな感情を手放しに肯定しているみたいでちょっと恐ろしさも感じた。疑問を投げかけている報道も「(事件当時)未成年の死刑はいかがなものか」みたいな部分であって、死刑そのものの肯定は当然のように扱われていた(という印象を受けた)。
刑法は公法、すなわち個人の仇討ちではなく公の秩序の均衡を保つための法律だ。犯罪を(個人ではなく公で)裁くのと同時に犯罪の抑制機能を持つものであって、個人の恨みを晴らすことに主眼が置かれた法律ではないということは確かである。友人・知人・元職場で法学部出身の人も多いけれど刑法を専攻した人の多くは死刑廃止論者。だけど死刑という制度が廃止にならないのはなぜなんだろう。死刑しか憎しみの感情を晴らす手段はないというのが民意の総意なんだろうか。
新聞等を読んでみる限りじゃ残虐極まりなく『死刑で当然』と一般小市民の私としてはついつい簡単に結論を持って行きたくなってしまう。だけど、遺族の「あの子(=殺人の被害者)もきっと(死刑を)喜んでくれるだろう」というコメントには違和感があった。人の死を喜ぶ、なんてことはどんな場合でもあってはいけないのではないだろうか、と。遺族として犯人は憎いには違いないが、『憎い=死刑』は『憎い=殺す』と大差ないのではなかろうか、という気がしてならないのだ。
私はどちらかというと窮すると冷静でいられる方ではなく狼狽えてしまう質。時同じくして拉致被害者・横田めぐみさんのお母さんが拉致被害者帰国3周年ということでテレビに映っていた。夫は「何があってもあれだけ凛としているヒトって格好いいよな」と言う(とゆーか、横田早紀江さんがテレビに映るといつも言ってる…)。「いつも、どんなことがあっても、あんなふうに凛としててね」って言われてもねぇ。感情的にならず凛として立ち、犯人に生命の尊さとかを諭す、なんてさぁ・・・。私も夫の『憎しみ=死刑を望む図式には反対』とか『死刑より終身刑を』という考え方には同感だが、殺人犯と向き合ってそんなことを伝えられるだろうかと思い巡らすと…(今の時点では)やっぱりちょっと自信がないのよね(^^;)、彼の強い望みならそうしたいとは思うんだけど。
花ちゃん、これ言っちゃおしまいだけど…
こればっかりは当事者じゃないとわからない問題なのかもしれないね。ひとつの殺人でいかに人生が狂ってしまうか。ニュースで正気を保って毅然とコメントしているように見える関係者の心がどれだけ壊れているか…。人間の想像力の限界を超えてることなのかもしれない。できる限り想像してみても足りない。それは誰のせいでもなく、仕方ないことなんだ。
遺族は憎しみっていうエネルギーにすがってやっと生きている部分もあると思う。悲しいことだけど、憎しみは大きなエネルギー(感情)を生み出すよね…。これも正気とは言えないかもしれないけど、悲しみでおかしくなってしまわないギリギリのところに「憎しみ」があるのかもしれない。
当事者になったことのある人だけで死刑の是非を論じるべきとは言えないんだけど、正確に遺族感情を理解していない人が決めるのも無理があることで、結局いつまでも結論の出ないことなんだろうな…。
私は基本的に死刑反対なんだけど、以前知人からその人の住む国で起きたひどく残虐な殺人事件の話を聞いたとき、自分でも知らないうちに、ごく当然のことのように「そこまでしてなんで死刑にならないの?」って尋ねていたの。死刑とは実際にわが身に起きたらどんなことかわからないけど、その事件のあまりのむごさに「死刑じゃなきゃ見合わない」って自動的に思ったんだよね。その人の住む国には死刑制度がないの。でも、そういうふうな事件が起きると世論が「死刑賛成」に傾くんだって。。。
個人的には、私も終身刑があればいいのだと思う。
メールするね。
( 2005年10月18日 03:04)
夫の遺言も今は何の実感もないし、本当は考えたくもないのです。「加害者が死刑になったとしても天国で決して喜ばないからね」という気持ちを汲むよう気持ちとしては努力しようとはするでしょうけれど全く自信ないです。大切な人の死を乗り越えられる自信さえないのに、ましてや殺人なんて想像もつかない、というのが正直なところ。
まだ殺人による死というものに遭遇したことがない私だけれど、できれば一生そんなのに遭遇したくない。「悲しみを憎しみに変えるな」というのはかなり難しい宿題なのでしょうね。それを助けてくれそうな人(?)は一人しかいない・・・。
そうそう、標記事件の加害者のうちの一人は回心し判決後に洗礼を受ける予定だそうですね。
( 2005年10月18日 09:27)
死刑、って、いろんな人がかかわってきてるんだよねえ。死刑求刑する検察官、死刑判決を出す裁判官、そして、一番つらいのは、死刑執行する刑務官かもしれない。終身刑も、候補に考えてもいいかもしれないけど、その場合、悪いことした人を、国のお金で一生食べさせる、ということでもあるんだよねえ。私は、根本的には死刑反対ではないけれど、「最後の砦」のような存在であってほしい。でも、その前に、死刑を考えなければならないほどの悪い事が起きない世の中になってほしいものです。
( 2005年10月18日 12:51)
Bethちん、ごめんよ。ウチは不真面目な家です。今現在実感のない話題だから、本当はそう重い話題でもなくてね。以下、ウチのダンナのふざけた意見。
>刑務官も辛い
→刑の執行は「遺族の手に任せたらいいだろ」。被害者遺族がネチネチいびり殺そうが一突きで殺そうが、やはり人命を奪うことに躊躇して釈放しようが遺族の気の済むようにしたらどうだろうと。(仇討ちはリンチの一種でしかない、という彼の本旨)
>死刑囚を税金で食わせる
→タダメシなんてナンセンス。「たとえば(自衛隊の代わりに)イラク送りにしたらいいんじゃん」。生死の瀬戸際体験により生命の大切さを考えさせて更生を図りつつ、国のために働いてもらうのだ。(ついでに防衛費も削減)
以上、ふざけたウチのダンナの意見でした~。ま、所詮、遺言も現実的でないなら死刑に関しても現実的ではないんですよ(笑)。
くれぐれも法務系公務員にはチクらないでおくれ。
( 2005年10月19日 17:13)
はっはっは。お気に入りに入れてるこのサイトが、私の夫の目にふれませんように(爆)
( 2005年10月19日 19:59)
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今日、名古屋高裁で3人まとめて死刑の判決があった。ある意味で、筋の通ったすっきり [続きを読む]
( from 開かれたねこをめざして : 2005年10月21日 13:33)